無断リンク禁止論争で気になる事


自サイトは「Google避け」して引き篭もり状態と言うか、
基本的に「noindex,nofollow」、トコロにより「index,nofollow」なので、
あまり偉そうな事は言えない立場なのだが、「無断リンク禁止論争」と言うモノは
「見て見て〜♪」と「(n)ぁに見てんだコラ!」のバランス調整は可能か、って話なのだと思う。


他所様のコメント欄からの引用と言うのもあまり行儀の良い事とも思えないが、
id:hizzz氏と言う方が非常に纏まりの良い事を書いておられたので、引用させて頂く。

でー、その「入れ子アーキテクト」はミクシィとかのSNS等でツールはそろっているんだけど、当然その「棲み分け」からもハミだすひとがいる。
それはメンヘル系の自己表現自体がおおまかに別けると「アタシを判って」内輪モードと「理解されないアタシ」境界モードの2つを行き来することで自我をアイデンティファイする傾向にある人が多いってからでわ、とも。

「棲み分けじゃ解決にならない」事は多くの方々が指摘しているが、
それに続く文章がこの件の本質に踏み込んでいると思う。
技術的な問題でも、倫理的な問題でもなく、
個人の中の心情の移り変わりに左右される問題であるから、
「ルール」と言うカタチにも、「空気」と言うカタチにも外部化出来ない。
モヒカン族の流儀であろうと、ムラビトの流儀であろうと、
この件のクリアは難しいのではないか。


その一方で、大きく視点を変えた技術的解決も提唱されており、大変興味深い。

もともと技術の話じゃない上に相手に負担を求めるという「禁止」というのがすべての元凶であるので
無断リンクされたら泣いちゃう」
無断リンクした人には呪いがかかります」
とか書いておくと丸く収まるのでは?

「呪い」は、少なくとも日本においては法的に問題のある行為ではないと思うが、
グローバルに見ると「無断リンクした人を殴りに行きます」と同様に、
法的な問題になる場合も在り得るのではないかと危惧される。
(確かアフリカの方で、呪いが法の範疇で対応される国もあると聞いた事があるような...。)


しかし、「泣いちゃう」の方は理想的な対応と言えるのではないか。
相手が「法的・倫理的に何ら問題無いが俺は気に入らない事」をした場合、
報復に「法的・倫理的に何ら問題無いが貴方が気を悪くするかも知れない事」をするよ、と。
流石にマジ泣きされたら(見も知らぬ他人とは言え)些か気分が悪い。
しかし泣くのは勝手で、無断リンク咎められないのと同様、それを咎める事は出来ない。
意に沿わぬリンクを妨げたい記述者と、記述者の意に沿わぬリンクをする側が、
対等の立場に立てる数少ない解決方法ではないかと思うのだ。