はてなブックマーク「ボク少女 - Wikipedia」経由
Wikipedia :「ボク少女」

女性キャラクターにこの男性的一人称を敢えて使わせるのは、そうする事によってそのキャラクターの女性性を逆に際立たせる効果をねらっている場合が多い。

上のブクマコメントでid:mizunotori氏が書かれている通り、
「直球に中性的に見せてる」のだと認識していたため、
Wikipediaに書かれた概要には違和感が拭えない。

特にアニメ・ゲーム(ギャルゲーやアダルトゲーム)・漫画などのサブカルチャー業界で多用されており

との事だが、現実に存在する数の方が遥かに多いだろうに、
フィクションで特有に見られる属性であるかのように書くのは如何なものか。
現実のボク少女達が要らぬ迫害を受けやしないかと心配になる。
このWikipediaの項目は「Category:萌え属性」に属するページであり、
また、読めばすぐに現実の人間をカテゴライズするモノではない、
主にフィクションを対象にした記述であると気付くが、
その事が前置きに明示されていないのは、誤解を招くと思う。
と言うか、書いてるヒトもあまり意識して無くない?


ところで、飲食店や電車の中で小学生ぐらいの女の子4、5人の集団と遭遇すると、
そこにはかなりの確率で、ただ一人だけ「ボク少女」が居るように感じる。
一つの集団に複数の「ボク少女」が居るパターンは見た事が無い。


男性視点から勝手な推測でモノを言うならば、
グループ内での「女の子らしさ」の優越感競争から、
一方的に離脱した事を宣言している様に見えるのだが、
元「ボク少女」だった成人女性にその辺の事を聞いてみても、
「何となく・いつの間にか」等の回答しか得られた事が無く、
実際にどの様な意図や経緯があるのかは分からない。


その群れにおいて支配的な価値観に基く優越感競争に対し、
群れの中に一人、競争への不参加を表明した者が居ると言う事は、
本人にとっては望まぬ競争に煩わされないメリットがあるし、
周囲の競争参加者も(その競争の中で下位にある者にとっては)、
「不戦敗が居るから自分は最下位じゃない」と思えるメリットがある。
(実際は不参加者が実質的最下位と言えない場合があるかも知れないが、)
結果、グループ内に「支配的な価値観」から逃げる余裕を作り、
人間関係を円滑にしている様にも見える。


と、男の子の優越感競争から逃げていた俺なんかは思うわけですが、
実際はどうなんでしょうねぇ? 本音が聞きたい。