一緒くたにされた問題を解きほぐす

真のモヒカン族の「合理的」は、学問や技術の世界における言葉なので、ムラ社会文化とのコミュニケーションにおける「合理的」とはスコープが違う言葉だと思いました。

「スコープが違う」と言う表現は非常にモヒカニックで、
感情至上主義的なムラビトには通用しないのではないかと思う。


支配的な*1ムラビトは自分の考えを主張する際に、主語を「みんな」へ置換したり、
常識」「倫理」等と掏り換えて説明を回避する傾向にある。
この様なムラビト洗脳的言説においては、
スコープの異なる問題を一緒くたにして雰囲気で押し流すのはデフォルトなので、
「スコープが違うから分けて論じましょう」等と言う展開は受け付けない。
これはムラ気質とモヒ気質を分ける境界線の一つだと思う。

*1:受身のムラビトには以下は当て嵌まらないかも