スコープ違いと言えば


ところで、モヒカニックな言説を
「感情を否定する非人間的態度」と断ずるヒトも居るようだが*1
いわゆるモヒカン族は、感情を否定するのではなく、感情を論じないのだと思う。
そこにある問題について、解きほぐして「感情問題」を分離した上で、
残る問題、感情以外を論じるのがいわゆるモヒカン族だろう。


「スコープが違うから分ける」事を、ムラビトは否定と捕らえるのではないか。
感情は感情として確かにそこにあり、それを否定する事など出来はしない。
しかし、一般的に「感情問題」は極めて私的な事情であって、
他の者が立ち入って論じるのは難しい場合が多い。
例えば、特定の単語に対して「見下している」「失礼だ」等と言われても、
その語に明らかに蔑意が含まれる場合には謝罪して撤回できても、
蔑意が含まれない語の場合にはどうしようもない。


感情は大事だが、感情を私的領域の外で振り翳し、
感情を理由にして誰かに何かを強いたりする様な事は、
(余程の社会的弱者でも無い限り)あってはならない、と言うか、
恥じるべき行為だと思うのは、モヒの戯言だろうか?


人間だもの、感情は大事だ。とても大事だ。
そんな大事なものを無闇に他人に突き付けるのはよした方がイイ。
それは、大事に大事に懐に忍ばせておくものなのだ。
そんなに大事なものを公衆の面前でみだりに振り翳すならば、
他人とぶつかって、それが傷付いてしまったとしても文句は言えない。
まして、それをぶつけ合って他人を攻撃しようなどと言うのは以ての外だ。

*1:と、ココで具体的にその例を挙げないのはモヒカン的でない逃げだが、