「悪意」について


で、悪意に関してもう一件、

悪意」についてはすこしだけ言いたいこともあります。ふつーにリンクして「無断リンクやめてー」って言われて「そもそもリンクは」って言うのは、いいと思うんですよ。でも晒し目的みたいなリンクで「やめて」って言われて「そもそも」って始めるのは、やっぱちょっと違うと思う。

悪意」については私も言いたかったのです。
みちアキ氏は「無断リーブ」のエントリの少し前に、

悪意のリンク」って言おう。「無断リンク」って言っちゃうと、「そもそも」とか「歴史」とか「表現の自由」とか言いだして、悪意があることをごまかしにかかります。変なほうに誘導されないように。

と仰っていますが、「悪意のリンク」と言っちゃうと、
それに対する(対抗する)全ての行為が感情至上主義者の中で正当化され、
「相手の行為(リンク)の中に悪意を見出してレッテル貼りをしている」と言う客観的事実を見失います。
最初の動機であろう私的感情(反論されてムカついた)問題を誤魔化しにかかります。


相手の行動に悪意があるかどうかなんて明らかにはできません。
でも、自分が「相手の行動に悪意を感じた」と言う認識は明らかです。
基準は「悪意」と言うより「私が悪意を感じた事」とするのが正確でしょうし、
それは公で主張できるだけの事なのかな?と疑問に思います。
(自分のコンテンツをどうこうするのは勝手ですが、)


また、悪意無く異論・反論のために行ったリンクを「悪意のリンク」と断じたならば、
その断定自体が相手に悪意を感じさせてしまう事は想像に難くないでしょう。
「何言ってんの? 悪意があんのはお前の方だろ!」となりませんか。
まぁ、両者が延々「いや、俺には悪意は無い。悪意はあるのはお前の方だ。」と、
全く同じ、意味の無い主張を繰り返すとすれば滑稽で素敵ですが...。


無断リーブ」自体は別に自由だと思いますが、
その理由として「相手の悪意」を断定するようであれば、
「オメー今ガン飛ばしただろ!」と怒鳴りつけてるのと変わり無い。
どちらが先に睨んだかでもめる昭和風ヤンキーはエレガントじゃないなぁ、と。
(註:「平成風ならばエレガント」と言う意味ではありません。)

モヒカン族チェッカで「非攻撃的なモヒカン族」と評された僕は(あからさまに悪意が感じ取られる)無断リーブに関しては全文引用を行ないます。

mustan氏は「悪意が感じ取られる」と言う明確な表現を使っていますが、
「無断リーバー」にしろ、「対リーバー全文引用」にしろ、
悪意」以外のところに立てないかと思う次第です。

(実際に互いの悪意が飛び交う状況ではそうも言ってられないかも知れませんが、)